先日「ボヘミアン・ラプソティ」と言うロックバンドのクイーンを題材にした映画を観ました。クイーンの楽曲に乗せて、彼らがどの様にして結成され、グループとして活動したのかが分かる自伝映画です。中でも最後にフレディがエイズにかかりなくなる前のライブエイドに出演したシーンが圧巻でした。映画という媒体での時間制約がある中、たくさんの楽曲が盛り込まれたため、ストーリーそのものに深みがある訳ではなかったのですが、バランス良くできた作品だと思います。彼らの全盛期は私が小学生だったため、その頃の彼らの活躍は知りませんでしたが、フレディが亡くなった時には世界的なニュースになったためよく覚えています。今クイーンの曲を聴いても、40年以上前に作られたとは思えないくらい新しい音に聞こえ驚きます。
 この映画の中で、根底に流れているものは家族愛だと感じました。メンバー同士ケンカをして仲違いし、しばらく離れることがあったとしても、最後に戻ってくる場所はクイーンと言う家族です。実際のフレディの家族やクイーンというバンドの描き方が、家族とは何かを伝えている様に思えるのです。

 「Irohaは家族だ。お父さんは大森シェフ。だからみんなで助け合ってやっていこう!」
ここ1年以上私が言い続けてきたことです。
インドの人たちは家族を大切にします。お父さんが故郷に帰ってこいと言うと仕事を置いて戻ります。列車に乗って2日かけて故郷に戻ることも珍しくないインドでは、一度帰ると10日から2週間仕事を休みます。そんな時はお互い様で、みんなでフォローしあって乗り切るのです。
と言うのも、自分がお休みするときには、他のスタッフたちがその分埋め合わせをするからです。自分の都合だけで働くのではなく、自分がみんなに世話になった分、他の時に助ける。そうやっていると、2年前までは人が辞めてばかりで人手不足だったのに、今はほとんど辞めるスタッフがいなくなりました。
口先だけで家族と言っても、スタッフたちの心には響きません。新しい時代を担うリーダを育てると私がみんなに宣言したところから、場が変わったのです。リーダーを育てるのは口で言うほど簡単ではなりません。やってみると大変でしたが、とても楽しい作業だったということが初めてわかりました。

もう一つ映画の中で印象に残るシーンに、フレディが自らエイズに感染して余命短いことをバンドのメンバーに告白するところで「私が何者であるかは自分が決める(I decide who I am.)」と言うセリフがあります。彼が伝説となった所以がこの言葉にあるのだと思います。誰もやったことがないことに挑戦し続けたフレディは常に道を切り拓き、新しい世界を作り続けたのです。
時代の一歩先、いや半歩先ですら見極める目を持つことは簡単ではありません。メンバー同士の諍いや、新しい世界の楽曲を作る時の葛藤するシーンがそれを物語っています。しかし、その目を持っている自分なんだと信じて歩んでいると、大きな時代の波に乗るのです。
私たちにとって大切なのは、その時代の半歩先を見極める目と耳を持つこと。
「ボヘミアン・ラプソティ」に描かれたフレディはそんなことを教えてくれている気がしてなりません。
まだ観ていない人はぜひ映画館で鑑賞してみてください。

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