先日紫紺会というインドで創った明治大学OB会の日本に帰任したメンバーで会う機会がありました。
このコロナ禍で帰任したメンバーや、数年前に戻ったメンバーが久しぶりに集ったにもかかわらず、あった瞬間から懐かしい雰囲気に包まれました。

 インドでのビジネスは一筋縄では行かないとよく言われますが、そのインドで苦楽を共にしたメンバーには絆があります。
飲みすぎて数々の武勇伝を残したメンバーも多く、そういった話を聞くと懐かしく、Irohaの大変だった時期を思い出します。
日本企業は日本のやり方を掲げがちですが、それがインド文化に合うとも限りません。
その擦り合わせに多くのエネルギーを使うのなら、インドのやり方に添いながら日本文化も織り交ぜてやって行く方がお互いの理解が深まると思います。
当時は残念ながら自分も含めて日本のやり方でやろうとして、インド人スタッフとぶつかるケースもあったようです。
そういう中で、お互いに歩み寄りながら距離感がわかった頃に帰任になり、次の新任者がゼロから始めるというのは、5年ほど前の日系企業では日常茶飯事でした(今では駐在期間が5年ほどいることは珍しくなく、大分改善されたようです)。

 その頃は日々頑張っていた紫紺会のメンバーたちも大変だったと思います。
しかし、当時はそんなことをおくびにも出さず、明るく楽しく集まっていました。
お互いの大変なところには触れず、インドでの愚痴も一切なく会えたのは、大学の校風があったのかもしれません。

 スクリーンショット 2020-11-25 10.36.12

 明治大学はラグビーの強豪校で、かつて北島忠治という伝説の監督がいました。
その監督のモットーは「前へ」。
1980年代後半は早稲田大学が横へ展開する華麗なラグビーに対して、明治は重量フォワードがスクラムで優位に立ち前へ展開する泥臭いラグビーでした。
相手に何度もタックルされ、止められても、ひたすら前へ行く戦い方は当時主流ではありませんでしたが、それでも愚直にやり続けると大きな武器になります。
同じように、インドという未知の相手に対し一歩も引かず、前へ前へと進む仲間たちを見て、大いに力付けられました。
Irohaもまた大変な状況にあった最中に、ひたすら前へ進むことで乗り越えてきたからです。
もちろん、当時は会う度にわいわい騒いで飲んでいましたが、最後に校歌を歌い明日への活力を得ていました。
そうやってインドという巨大で魑魅魍魎とした国で渡り合ってきた仲間が、久しぶりに集う楽しさは筆舌に尽くし難い体験でした。
日本に帰国しても、やはり前へ前へと進んでいるメンバーを見ると、仲間と自分に大きな信を見出すことができます

IMG_9041