久しぶりにジョギングをしました。
毎日走ろうと思って朝早く目覚めるのに、今日は寒いから、今日は雨が降っているから、今日は花粉がたくさん飛んでいるからと言い訳をしてグズグズしていると、会社に行く時間になり、重い気持ちで家を出る。
そんな日が続いていました。
やると言ってやらないと、パワーが湧いてきません。

 この状態が何日も続いていると、自分はダメなやつだと自分にダメ出しして、益々パワーがなくなります。
そんな時、私の師匠と言える人から、やらなきゃならないことなんて一つもないんだと言われてハッとしました。
これをやらなきゃ、あれもやらねばと「〜しなければならぬ病」にかかっている自分が見えたからです。

 これまで周りにいる人たちに「〜しなければならぬと生きていると、体に力が入って疲れるよ、もっと力を抜いて、リラックスしていこう!」と言っていた私自身が、まさに体を強張らせ、何とかしようとしている姿が見えて、笑えてきたのです。
本当にバカだなあと思います。

 最近インドの事業がコロナ禍の中で順調にいっておらず、何が問題なのだろうかと原因探しをしていて、窮屈で束縛されているように感じている自分に気づきました。
何とかしなければならぬ。
いつの間にか「〜しなければならぬ病」にかかっていました。
気づきさえすれば、この目に見えないベールに包まれた落とし穴から抜け出せます。

 翌朝、時間通りに起きて、ジョギングをしました。
7日ぶりに淡々と走り、ピッチをあげることもせず、ただ走ることを楽しみながら心地のいい汗をかきました。
ただ今、走っている私がいる。
そのことに気づけ、ふふふと歓びが湧いてきました。

 随分前のことですがNHKの心の時代という番組で山川宗玄老師が「体得底」という言葉を仰っていました。
老師のいらっしゃる美濃加茂市にある禅の修行道場の正眼僧堂では、食事、掃除、座禅などは全て音の合図で行うそうです。
言葉で行うと、言葉に対する反応があるが、音だと反応よりも先に体が動くそうです。
音の合図で動いていると、体が覚えて自然と動くようになる。
それが修行の入口になると言います。
山川老師は体得したものは誤らないし、忘れないと。
頭で理解をすることなく、音によって身につけることが大切だと言っています。

 1年ほど前に見た番組でしたが、突然思い浮かびました。
頭で考えると、したい・したくない、分かる・分からない、できる・できないなど頭の中が うるさくなります。
しかし、音によって(考える間もなく)行動する習慣ができると、動きに無駄がなくなります。
体に染み込むまでやってみる。

「〜しなければならぬ」の先に行くと、青い空にくっきりと浮かぶ大きな入道雲のように爽やかな心地のいい気分になりました。

スクリーンショット 2021-03-05 22.39.56